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武士の給与明細、文化財に…名張藤堂家家臣あて(読売新聞)

 三重県名張市教委は、江戸時代初期、名張藤堂家当主の藤堂高吉が上級家臣だった田中文兵衛に与えた村名と石高を書いた3通の文書「村部家旧蔵田中文兵衛知行文書(むらべけきゅうぞうたなかぶんべえちぎょうもんじょ)」を、市文化財(書跡)に指定したと発表した。

 市教委は「名張藤堂家の内政を知るうえで貴重な資料」と評価している。

 3通は、縦32・5センチ、横39〜49センチの和紙で、寛永14年(1637年)〜承応2年(1653年)に書かれた。年代順に見ると、1通目は伊勢飯野郡上七見村で70石、多気郡大垣内村で50石の計120石を給付されたことが書かれている。

 2通目には、伊賀名張郡瀬古口村で30石、3通目には伊勢多気郡川尻村で30石をそれぞれ加増されたことが記され、名張藤堂家も本家の津・藤堂藩と同様、村を指定して家臣に与え、得られた年貢を家臣の収入とする「地方(じかた)知行制」を採用していたことを裏付けている。

 市教委は「知行として田中文兵衛に与えた村は、地元の名張だけでなく伊勢にも分散している。災害時の収入減や、与えられた村と家臣が強く結びつくことを回避するねらいがあった」と分析している。

 田中文兵衛は、伊予・今治で藤堂高吉に仕え、名張藤堂家でも監察役の「大横目付」の役職で200石を与えられたとされる。晩年、高吉から村部次左衛門の名を賜り、高吉が亡くなった翌年の寛文11年(1671年)に没した。村部家は幕末まで8代にわたって名張藤堂家に仕え、2代目以降は十文字槍(そう)術師役を務めた。

 3通の文書は2007年、村部家の子孫が名張市に寄贈。名張藤堂家が家臣に発給した知行文書としては初めて見つかった。市教委が内容を詳しく調査し、08年4月、市文化財調査会に諮問、市の指定文化財とするよう答申を受けた。今回の指定で市内の指定文化財は76件(国指定8件、県指定13件、市指定55件)になった。

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